2010年05月18日

日経新聞

日経新聞の夕刊に永田和宏のエッセイが掲載されている。僕はこれが楽しみである。永田和宏は歌人であり科学者である人なのであるが、僕がよく知っているのは歌人としての永田和宏である。
初めて永田と会ったのは、忘れもしない大学一年生の春、京都の荒神橋近くの京大会館であった。

母親の逝きてのちはや三月待つ新緑の中孤独深まる

月並みかもしれないが、母親を亡くすというのは辛いことである。永田と出会う数日前、母親が大学の入学式のために上洛した。
僕たちは夕御飯を食べるために下宿近くの寿司屋に入った。寿司屋といっても関西でよく見かけるうどん屋と一緒になったような店である。僕は涙が止まらなかった。
母は奮発して、少し高い竹か何かを頼んでくれた気がする。

物心ついてから中学生と高校生の間のたった6年間しか一緒にすまなかったことを僕は心から後悔した。

僕は母に涙を見せないために一生懸命にお寿司を頬張った。

そんな僕になにも言わない母であった。
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2010年05月16日

新車の効用@

新車はいい。早速納車された昨日、一人で軽井沢の鉄道博物館に行ってきた。EF63などの往年の名機関車が保存されていた。僕は「白山」という特急列車にあこがれていた。クリーム地に赤色の帯の入ったその列車がEF63の重連で碓井峠を登るその様は特急列車にあこがれていた僕にとっては夢の列車だった。いつか施設を出て、自由に旅をしたい。僕はそんなことばかり考えて子供時代を過ごしていた。
しかし、その列車に乗ることなく、長野新幹線の開業とともに白山は姿を消してしまい、僕はその列車に乗ることはなかった。しかし、実は子供の頃、2歳くらいの時に僕はその列車に乗っているし、先日廃止になった急行「能登」は、白山の車体を流用したものであったことを知っていたのだ。そう、僕はどこにも行かなくても、たまに父親が白山みやげに買ってきてくれる横川の釜飯の空き殻で何年も遊ぶことができたのだ。僕が好きだったのはそれについてくるプラスチックの容器に入っていた「お茶」であった。僕は白山を思い出すと母親を思い出す。母は、兼高かおるの世界の旅が大好きだった。結局母はどこの外国に行くこともなく旅立ってしまった。しかし、母はそのことに後悔していないようにおもわれる。どこにいても旅はできるのである。

そんな僕も新車を購入した。前の車と排気量も同じであるし車幅も同じであったから、さあどうか、という気持ちであったが、これがじつにすばらしい。約20年の歳月というのはとても長い。母を再び助手席に乗せたいという気持ちだけのために、新車購入を見合わせていた僕でさえ、なぜ購入しなかったのかと愕然となるほどである。
ささやかなフィーリングから大きな感触まで、ことごとく違う。
僕は母の形見の数珠を車につけて、そっと初ドライブを終えたのであった。


一つだけ成果があった。
瓶のコカコーラを購入できたことだ。
母が最後に望んだもの。それがコーラを飲むことだった。よほど甘いものを求めていたのか、疲れていたのか。
母の前には、いつでもコーラがおいてある。僕も瓶のコーラが大好きだから、母もきっと好きには違いない。
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新車について

富士山が見える。新車はすべからく気持ちよい。この調子でスイフトブログを始めることを宣言する。
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